洗心浄語 開祖がお話しになったご法話の一節をご紹介いたします。

親切

親切とは、相手のことを考えさせてもらう、相手の気持ちを察してさせてもらうことや。
自分の損得を考えてするのは、本当の親切やない。
その人に、悪いところがあったら、じかに言わしてもらうのが、親切や。
陰で言うたら、悪口になる。
わたしが、面と向かって、きついことを言うても、みんな、わりに怒らんのは、相手が良うなってもらいたいと思うて言わしてもらうからや。可愛いから、注意するねん。どうでもよかったら、ほっておく。
「親切」とは、「親を切る」と書く。親を切るほど辛いことはない。
そんな辛い思いをしてでも、その人のために言わしてもらう。
こんなことを言うたら自分が悪う思われへんかいな、と思うたら言わへん。
そやから、直接、言うてくれるは、本当は親切な人やから、感謝して受けさしてもらうことや。

たかぶり

(たかぶりの心があるという人に対してのおさとし)
「えらい」という人、どこにもあれへん。
えらいのやったら、ひと(他人)の世話にならんと一人で暮らしたらええねん。あんた、えらいと思うてなはるか。
あんたの財産、死んでいく時、持って行きなはるか?
持って行かれへんやろ。
体も自分の体やと思うてなはるやろけど、おかりしてる体や。体さえおいていかんならん。えらいこと、どこにあるのや。
みんなのおかげや。年のいった人がありゃこそ、こうやっていけるねん。
みんなを拝ましてもらわないかん。
そやって、多くの人たちのために尽くさしてもらうことが肝心や。

悪い言葉

大便でも腹の中にあるうちは大事にしてなはるけど、出したら汚のうてかなわん。
ハナ(鼻汁)でも、かんだら吸われへん。タン(痰)でも出してもたら、また、のまれへん。
それといっしょで、思うているうちは、まだええけど、悪い言葉を口から出してもうたら、とりかえしがつかん。
そやから、一言いうのも気をつけないかん。

まず種をまけ

ものを持とうとするには、まず自分の体に力をつけねばならん。
力のないのに重い荷物を背負うたら、体がこわれてしまうがな。
ものを集めようとしても、集まってくる種がなかったら、骨折り損ということになる。
今の世の人たちは、この「種をまく」ことを考えないで、収穫だけを大事にする人が多い。種がないのに、ものが生えるか。おかしな人たちや。
それで、念法の人たちは、ものを集めようとするまえに集まってくるだけの種をまくねん。
種さえまいてあったら、いつかは収穫ができる。まず5つの徳をみがいて、積徳修善(とくつみ)をすることや。これが種まきや。

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