全国支院だより 全国の支院よりおたよりが届きました。

長崎念法寺 外観写真

長崎念法寺

親先生の長年のご念願だった、
被爆地・長崎での道場建設。
長崎念法寺では毎年、長崎原爆
殉難者慰霊法要を行っています。

長崎市の中心街、JR長崎駅前にあり、今年創立22年を迎えます。

深く切り込んだ長崎港に沿って広がるわずかな平地が長崎市の中心部。JR長崎駅の繁華街からほど近い場所に長崎念法寺が建っています。朱塗りの念法のお寺とは趣は異なりますが、信徒が気軽に訪れられる便利な場所にあるお寺です。

親先生のご意志を二代燈主様が受け継がれた長崎念法寺

鎖国時代には海外の玄関口だった長崎は、異国情緒あふれる観光地です。グラバー園やオランダ坂、新地中華街など、長崎は「和華蘭(わからん)文化」ともいわれ、西洋と東洋の文化が入り交じるエキゾチックな顔をもち、全国から多くの観光客が訪れます。長崎念法寺の窓からも、日本二十六聖人殉教地の建物が見え、市街の中心地にお寺が建っているという恵まれた場所に位置しています。

開祖親先生が初めて長崎県を訪れられたのは、今から56年前のことです。昭和29年、九州各地をご親教されていた親先生が長崎県平戸へもお立ち寄りになり、3日間ご親教をされました。
昭和57年には、長崎市内のホテルを会場に「二代燈主様を囲む会」が行われ、その後も毎年のように二代燈主様は長崎に足を運ばれて、囲む会が催されました。
長崎は、広島と並ぶ被爆地であり、多くの犠牲者の御霊を弔い、平和への祈りを捧げる意味からも、ここ長崎の地に念法の道場を築くことは、親先生の強い願いでもありました。そうしたご意志を二代燈主様が引き継がれ、昭和63年には長崎市内の住宅を改築して、念願の長崎念法教会が誕生しました。そして現在の地に移ったのが5年前です。長崎念法寺は、今年で創立22年。念法のお寺としては歴史は浅いですが、教えがしっかりと根付いているお寺です。

  • ▲お寺は駅前大通りのすぐそばに
  • ▲二代燈主様と 信徒

今年で6回目の長崎原爆殉難者慰霊法要を開催

昭和20年8月9日11時2分。長崎の空が白く輝き、時計の針が止まりました。長崎に投下された原子爆弾により、長崎の街は一瞬にして壊滅し、多くの尊い命が奪われました。
教団では、毎年7月に長崎原爆殉難者慰霊法要を行っています。九州各地から信徒をはじめとした関係者300人以上が法要に参列し、今年で6回目になります。

長崎原爆殉難者慰霊法要の第1回目は、広島念法寺や小倉念法寺の信徒の皆さん方のサポートを受けながら、何とか実施しました。翌年、久保田芳晃住職が長崎念法寺の住職に着任されてからは「被爆地の使命として、長崎の私たちの手でお世話させていただこう」との思いから、多くの方々の支えを受けながら、小さなお寺ではありますが、長崎念法寺が主体となって実施しています。当初は、「大丈夫かな…」という不安の声もありましたが、信徒が一丸となって取り組み、今ではおかげさまで任せていただけるようになりました。

  • ▲原爆落下中心地公園の碑
  • ▲長崎原爆殉難者慰霊法要

立教85年祭 九州西ブロック大会では、子ども蛇踊りを披露

長崎念法寺を預かるのが着任5年になる久保田芳晃住職です。
和歌山の納定(のうじょう)念法教会にて27年間、住み込みでご奉仕された後に本山に入山され、住職に就かれたというユニークな経歴をもたれています。久保田住職の何事にもとらわれないお人柄と信徒の気持ちを大切にする細やかな心遣いは、瞬く間に信徒を惹きつけ、今では住職の周りにはいつも信徒の皆さんの顔があります。

そんな長崎念法寺では立教85年の今年、九州西ブロック大会で「子ども蛇踊り」を披露しました。毎年秋に行われる長崎の三大行事「長崎くんち」で踊られる蛇踊りを、5歳から12歳までの子どもたち30数名が2つのチームに分かれて踊りました。練習もほとんどできず、ぶっつけ本番でしたが、「もってこ〜い、もってこ〜い」のかけ声とともに踊る子どもたちは、とても微笑ましく大いに盛り上がりました。また、お寺では信徒が集まって、ご詠歌踊りや念法踊りの講習会も開催し、行事が行われる際に披露しています。

  • ▲子ども蛇踊り
  • ▲信徒によるご詠歌踊り

更新日付:2010/12/20

プロフィール

住職:久保田 芳晃(くぼた ほうこう)

長崎念法寺
住職:
久保田 芳晃
(くぼた ほうこう)

メッセージ

〒850-0042
長崎県長崎市
御船蔵町4-14
TEL:095-822-2110
MAP
昭和29年、九州各地へのご親教のおりに、小舟に乗って長崎・平戸にお立ち寄りになった親先生。
長崎にたびたび足を運ばれた
二代燈主様を囲んでの勉強会
写真は、昭和58年長崎市内の山水荘にて、二代燈主様を囲む教え勉強会の一コマ。
広島で原爆が炸裂した、わずか3日後の昭和20年8月9日。
アメリカは2発目の原爆を長崎に投下しました。天候が悪い福岡県小倉市(現・北九州市)での投下を断念し、第2目標である長崎で一瞬の雲の切れ間に原爆を投下したのです。
広島の1.5倍の威力を持った原爆は、当時の長崎市の人口約24万人のうち約7万4,000人の尊い命を一瞬にして奪い去りました。現在この地には、原爆落下中心地公園として整備され、碑が建てられていますが、長崎念法寺では月に2回、平和祈願のお供養の水をこの碑に献水させていただいています。
九州西ブロック大会で「子ども蛇踊り」を指導した長崎念法寺の青年リーダー福山恵子さん。大勢の子どもたちをまとめるのは大変だったそうですが、終わった後の子どもたちの笑顔が忘れられないとのこと。
「長崎のお寺には青年が少ないので、一緒に活動してくれる仲間を増やしたいです」と笑顔で答えてくれました。