全国支院だより 全国の支院よりおたよりが届きました。

高山念法寺 外観写真

高山念法寺

松倉山の麓、30万坪にも及ぶ
広大な敷地に建つ高山念法寺は、
信徒みんなで力を合わせて
造り上げた、手づくりのお寺です。

開祖親先生や本山とも深い繋がりのある高山念法寺は、創立67年を迎えます。

岐阜県北部、飛騨地方の中央に位置する高山市の郊外、松倉山の麓にある高山念法寺は、
全国支院の中で2番目に開設された歴史あるお寺です。

念法眞教の地方支部第2号として誕生した、高山念法寺

美しい山々に清らかな水など、大自然に恵まれた飛騨地方。そして飛騨高山といえば、合掌造りや出格子が連なる「古い町並」、朝市やさまざまなからくりを施した「高山祭り」の屋台などを思い浮かべるのではないでしょうか。「匠」という言葉も、実は木を知り尽くした飛騨の職人のことを指し、高山は有形・無形の文化財が数多く息づく、中部地方を代表する観光地です。そんな高山の市街地から少し離れた郊外に高山念法寺があります。

高山念法寺の歴史は、今をさかのぼること67年前、和歌山県の田辺念法寺の初代住職・山本香現師が、縁のあった飛騨国に念法の灯りをともさんと、高山市をはじめ各地に念法の教えを知らせ導いたことがはじまりです。

そして、戦後間もない昭和21年5月7日、開祖親先生がはじめて飛騨地方に訪れられました。岐阜県は、親先生が日本再建の巡教の旅において、兵庫県に次いで初親教された地域であり、高山念法寺は、全国支院の中でも、有数の歴史あるお寺です。

昭和24年、岐阜県大野郡久々野(くぐの)村にて拠点が誕生し、昭和28年には高山市内の馬場町に飛騨高山念法寺が開設されました。そして、昭和46年には、松倉山一帯約30万坪を買い取り、現在の高山念法寺が建立されました。

松倉山に親先生がはじめて足をお運びになった時、急な山道をお歩きになって、「この松倉は人が多く寄ってくるところや。大きなお寺を建てて人救いのために役立てるように。松倉山は石がようけあるで。信徒の意志を固めて、そうや、『意志山寺』やなあ」と、たいそうお喜びになりました。当時の松倉山は家ひとつない荒れた山林でしたが、その後、お寺の周辺は住宅や観光施設などの開発が進み、今では親先生が言われた通りになっています。

  • ▲江戸時代の面影を残す
    「古い町並」
  • ▲昭和46年、松倉山の新道場でのご親教

「念法燈主水乞霊蹟」が建立された、山梨地区の湧水物語

親先生が飛騨へ3回目のご親教に訪れられた昭和22年の8月、久々野村山梨地区でのことです。その日、信徒宅に泊まられた親先生は、家人がお風呂を沸かすために、わざわざ山の下から水を運んでくるのをご覧になって、「この村には水はないのですか」と尋ねられました。家人は「この山の下にトンネルを掘ってからというもの、水は下の村に流れてしまい困っています」とのこと。親先生はすぐさま、とうとうと水があふれ出るトンネル口まで下られ、雨乞いの神様として祀られている八大竜王へお願いされました。するとその時間に、山梨集落では水が湧き出し、そのうち雨雲が湧きおこり、大雨が降り出しました。その雨は2日間降り続き、雨がやんでも山梨集落で水が枯れることはありませんでした。
その後、親先生は水乞をされた場所で扇形の石を拾われ、その石をお祀りする「念法燈主水乞霊蹟」の記念碑を建て、親先生のご臨席のもと報恩法要が行われました。高山念法寺では、今も毎月記念碑にて勤行式を行い、毎年6月には法要を勤めています。

  • ▲昭和42年、ご親教の後にトンネル口に立ち寄られた親先生
  • ▲今なお、枯れることなく、
    とうとうと水があふれる湧口

松倉山の石や新米の献納など、本山と深くつながる高山念法寺

高山念法寺の住職を勤めるのは、4代目の今柳田良信住職です。
今柳田住職のモットーは、縁というものを大切にし、常に相手の立場に立って物事を捉えること。普段はやさしく楽しい今柳田住職ですが、時には厳しくズバッと信徒にお話しされることもあります。
それも、信徒のことを思いやってのこと。高山に来て40年以上になる今柳田住職と信徒の皆さんが固い絆で結ばれているからこそなのかもしれません。

そんな高山念法寺では、信徒同士の集まりも活発に行われており、
60歳以上の女性の集まり「うぐいす会」をはじめ、子育て中のママさんを対象にした「竹の会」や「子ども会」などでも楽しい催しが企画され、お寺はいつも笑顔であふれています。
中でも、高山念法寺の大きな特長として、男性信徒の活躍が上げられます。松倉山一帯の30万坪にも及ぶ広大な敷地を維持・管理していくのは大変な作業です。「作業道を守る会」の男性信徒を中心に、春秋には山林や林道の手入れ、冬場には除雪作業を行い、また本堂はじめ、周辺の建物や橋などの建造も、すべて信徒の皆さんによる奉仕で行われています。高山念法寺はいわば、信徒みんなで造った手づくりのお寺といえます。

高山念法寺の建つ松倉山には、とてもいい石が採れることから、信徒の手で山から採石し、本山に献納しています。本山造営時にも、高山から多くの信徒が奉仕活動に参加しており、現在、本山境内にある「奥飛騨庭園」も高山の信徒によって造られたものです。
また、お寺にある田んぼで収穫した新米を、毎年本山に献納するなど、高山念法寺は本山と深いつながりのあるお寺です。

  • ▲信徒の皆さんと談笑される
    今柳田住職
  • ▲子供も大人も楽しんだ夏祭りでの仮装大会
  • ▲松倉山からの採石や本山に献納するお米の田植えの準備をする信徒の皆さん

更新日付:2012/07/20

プロフィール

住職:今柳田 良信(いまやなぎだ りょうしん)

高山念法寺
住職:
今柳田 良信
(いまやなぎだ りょうしん)

メッセージ

〒506-0034
岐阜県高山市
松倉町2581
TEL:0577-33-5193
MAP
昭和26年、高山へご親教に訪れられた親先生(高山駅前にて)
バスの中で信徒に囲まれ法話をお話しされる親先生(昭和33年)
高山念法寺の入り口に架かる『円満にして極楽橋』は、昭和50年にこの橋が完成した際に、親先生により命名されました。
当時、この朱塗りの橋の渡り初めをされた親先生は、「極楽橋ええなあ。極楽いくには喧嘩しとったらいかれへん。円満にしとかんといかれへんな。『円満にして極楽橋』という名前でどうや」とおっしゃられたそうです。橋の名前にも親先生の深い意味や願いが込められています。
今から65年前に、水が出ずに困っていた久々野村山梨地区において、親先生が八大竜王をはじめ、諸天善神(しょてんぜんしん)にお願いされて、再び水が出るようになったことの印として、扇形の石をお祀りした「念法燈主水乞霊蹟」の碑。
親先生がお住まいとして使われていた旧燈主館は、本山の伽藍建設工事の際に壊されることになっていました。しかし、二代燈主様の「せっかく親先生が苦心して造られた建物がなくなるのは惜しい」とのご意志により、高山念法寺に移築することが決まりました。本山で解体された旧燈主館の建材はすべて高山念法寺に運ばれ、移築の際には柱やドア、瓦などできる限り当時のものを使用して、高山念法寺の信徒の手により、復元されました。